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KUMAMOTO SUBARU熊本スバル

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☆八代店☆飛行機作りから車づくりへ

2018.06.11 お店のつぶやき 八代店
皆様、こんにちは。

ジメジメとした気候になりました。体調管理には十分気を付けられてください。

さて、本日はスバルの前身である『中島飛行機』について書きます。

中島飛行機は大正6年に中島知久平氏(海軍軍人)によって、日本初の航空機メーカーとして設立されました。(創設時の名称は飛行機研究所)

大正5年、創設者の中島氏は欧米で学んだ新知識をもとに複葉式の水上機を設計します。

中島氏はこれからの飛行機の重要性に着目して航空機を国産すべきこと、これを実現できるのは民間制作でなければ実現できないと考えました。

そして、在籍していた海軍を退役して大正6年に出身地である群馬県に飛行機研究所を開設します。

創設から2年後の大正8年に陸軍から練習機『中島式四型』を20機の受注を受け、航空機メーカーとしての軌道に乗ります。

その後は企業の拡大を行い、日本最大の航空機メーカー、航空機エンジンメーカーとして成長していきます。

会社の成長につれて、飛行機研究所は、日本飛行機研究所に改称そして中島飛行機制作所を経て中島飛行機株式会社となっていきました。

中島飛行機は陸海軍の軍需を主にさまざまな軍用機の開発、生産していました。
中島飛行機製一式戦闘機

中島飛行機は民間企業でありながらも軍用機の生産を行っていたため、戦後は軍需会社としてGHQにより会社を解体されてしまいました。

解体後、5社が結集して富士重工業株式会社を設立、そして現在の株式会社SUBARUになりました。

現在のSUBARUのクルマづくりには中島飛行機時代の安全思想が組み込まれています。

その中でも色濃く反映されているのは視界の広さです。SUBARUの車はどの車種も死角を減らし、視界を広くする設計がされています。

中島飛行機では軍用機を開発していたため、コクピットでは早く敵を見つけれるように視界を広くする設計がされていました。

車に置き換えれば、視界が広いと早めに危険を察知をすることができます。これにより安全にそして安心して運転することができます。

このように中島飛行機時代の安全思想は今のSUBARUの車づくりにしっかりと反映されています。

興味を持たれた方はぜひ、八代店にご来店ください。中島飛行機仕込みのSUBARUの車に一度乗ってみてください。

皆様のご来店心よりお待ちしております。
 

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